憧れることの罠−あくまで〝私〟にしかなれない 自己肯定感の低さを発見した私でも大丈夫 そのままで創造しよう
私は歴史が好きですが、決して得意な分野ではありません。
学生時代の日本史や世界史の成績も芳しくなかったし、
年号や時代の名前、人、藩の名前も結構うろ覚えです。。
資料集のようなビジュアル度が高いものは大好きでした。
なんて書いてあるかもわからない掛け軸や証文、絵巻、肖像画や肖像写真に映る真面目な表情の偉人たち。
そういう視覚にうったえるモノが私のハートをつかんだようです。
消しゴムはんこをはじめたころは
鳥や虫などの動物を彫っていました。
それが茨城県の有名人、水戸黄門を彫ったら
意外にウケがよかったので
人物のはんこをもっとつくろう
ということになりました。
気になったり人物、憧れの歴史上の人物の似顔絵を描いて、
消しゴムはんこに起こします。
時代劇だったり、映画の主人公だったり、歴史、文豪、お笑い芸人、アイドル、時の有名人
などなど、イベント前になると、どの人のはんこを彫ったらウケるかなと考えながら、制作していました。
私も多くの歴史人に憧れたり、賞賛の気持ちで彫っていました。
「聖徳太子の服、カッコいいなあ」
「大久保利通の髭男爵っぷりにまいっちゃうなあ」というカンジで。。
やっかいな憧れパワー
ハナシはちょっと変わりますが、
この「憧れ」のパワーはすごいモノを秘めています。
わー✨キャー✨スゴイ❣️
わたしもあんな風になりたい! すこしでも近づきたい!
大好きな芸能人が数メートル先にいたら
思わず言ってしまいますよね。
わたしもそういう憧れの気持ちで
いろいろな人物を彫ってきました。
そして多くの輝いている芸能人や著名人を見て
ああなりたい!ああなるためにはどうしたらいいか!
っていうことを始終考えては
ファッションやライフスタイルをマネしてしてたと思います。
特に若いときは、それが生きる原動力ともなっていたとも言えます。
高校生のときには、60年代のモデルのツィギーに憧れるという暴挙にも。。
昔のサイケファッションに憧れて古着を買っては似合わない体型を恨んでいました。
多くの方は、私と同じように著名人に憧れてマネしてみたことがあると思います。
伝記や物語、雑誌、テレビ、映画、インターネットの世界でも、その著名人やインフルエンサーのキラキラ✨に魅せられてしまう仕掛けもいっぱいです。
とうぜん憧れの「◯◯さんのようになりたい!」と思う気持ちになります。
「憧れのあの人のようになれば、もっともっと今の(たいしたことない)自分が好きになれる(はず)」
そして憧れつづけて、マネすることすることに満足感を覚える私。
ある日突然気がつきます。
「やっぱり憧れの〇〇さんにはなれない」と。。。
〇〇さんと私の圧倒的な差、
つきつけられた現実の厳しさに耐えきれず、
憧れの〇〇さんのことを、嫌いになってしまったりしました。
ああ、あんなに大好きだったのに、、、
嫌いになってしまうなんて、、
私は憧れの人を嫌いになってしまったことで
さらに自分に罪悪感を感じてしまう悪循環。
自己肯定感の低さから、このような心情に陥ってしまっていたのでした。
だからわたしは考えました。
憧れなのに、遠ざけてしまわないようにようにするには
どうしたらいいだろうかと。
こんなマイナスな苦しい気分を味わわないために。
それで次のように思うようにしました。
ちょっとだけアファメーションを書き換えてみた
〇〇さんのようになりたい
↓(変換)
〇〇さんを参考にして、わたしの生き方を輝かせます。
なんといいますか、
アファメーションの書き換え?みたいなカンジでしょうかね。
私は〇〇さんには絶対になれない。それは私は〇〇さんではないから。
わたしはわたしという唯一の存在だから。
〇〇さんの素敵な部分をあくまで参考にするだけ。
わたしはわたし以外の人にはなれないし、ならなくていい。
だから憧れの人のいいところだけを私のなかにとりいれちゃえばいい。
憧れのあの人にならなくていい!!
そう思うと
なんだか肩に入っていた余計なチカラがすうぅーーと消えていったのでした。
引け目、謙遜、尊敬の裏返し、
そういうことに悩む時間ってもったいないですもんね。
フラットな気分で物事を楽しめたら
と日々考え、鍛錬?していっています。
人は存在しているだけでいい。
いろいろな人々と出会って自分を創造しているんだなあと思います。
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