東国三社参りのあとに⛩【佐原】観光で小江戸情緒あふれる水郷の旅🚣♀️伊能忠敬のはんこを彫る
こんにちわ。手づくりはんこ史緒(@fumiwo230)です。
東国三社参りで千葉県にある香取神宮を参拝したあと、香取神宮からほど近い千葉県「佐原」に宿泊しました。
佐原は風情ただよう古い商家が立ち並ぶ町並が有名な水郷の町です。
歴史ある景観をたのしみながら、ウォーキング、ショッピング、川下りを楽しみました。
東国三社参りの様子はコチラの記事をごらんください♪
JR佐原駅の和風の佇まいにシビれる
香取神宮から車で8分、佐原駅隣の「ホテルルートイン香取佐原」に到着。
ホテルのすぐ隣、JR佐原駅に行ってみました。
小江戸情緒あふれる佐原駅。のれんがいい味だしています。
そして
佐原に暮らしていた伊能忠敬(いのうただかた)の立像が駅前にありました。
伊能忠敬は日本初の実測による全国地図づくりを成し遂げた人物。
測量の旅に出る17歳から55歳までをこの香取市佐原で過ごしたそうです。
伊能忠敬とはどんな人物?
17歳で佐原の伊能家の婿養子に
1745年上総国(現在の九十九里町)に生まれ、1762年に下総佐原村 伊能家の婿養子になります。
当時傾きはじめていた伊能家の総収入を3倍にまで伸ばして、お家を再建したということです!
家業は酒造りを営んでいたそうで、家業のほかにも村のため名主や村方後見として活動し、村人からの信頼が厚かったようです。
天明の飢饉の際には、米を買い付け、村人を救ったことにより死者を出さずにすんだという
優れた先見の明を持っていた人物だったそうです。
商売の合間をぬってものすごい量の書物を読み勉強していたそうです。
50歳を超えて本格的に天文学の勉学に
49歳で隠居して、家督を息子に任せました。
50歳で一念発起して江戸へ移住、天文方「高橋至時」に弟子入りしました。
当時31歳の高橋師匠と50歳の弟子。19歳も年下の師匠でしたが、天文学を学びたい一心で行動していったすごいパワフルな忠敬さん。
観測に没頭する第二の人生がはじまりました。
大量に観測道具を買って、自宅に揃えていたそうですよ。
隠居後に家業を任せて、江戸でワクワクしたオタクになってたんでしょうね✨
幕府の測量事業にのっかり夢をかなえていく
その当時ロシアからの蝦夷地(今の北海道)への来航が増えたことで、幕府は北方の防衛をするため地形を詳しく知る必要性が出てきました。その国防のための測量事業に高橋至時が伊能忠敬を推薦したということです。
忠敬は測量のなかで、自身の夢である「正確な緯度1度の長さを求めていく」ことを叶えていきました。
仲間を失うほど大変で厳しい測量
第一次測量の旅は55歳で出発。1次〜4次で東日本の海岸線を測量しました。
5次〜8次で西方面の畿内、中国、四国、九州地方
9次 で伊豆諸島
10次 江戸
で測量の旅を完了しました。
途中の九州地方では、仲間を病気で失うという悲しい出来事がありました。
他にも現地でイザコザがあったりして測量がストップする難儀もあったり、そういう出来事をひとつひとつ解決していきながらの測量、地道な作業の繰り返しと人々との協力で進んでいったことなんだろうとおもいます。つらいことがあっても諦めずに使命に向かった忠敬ってどんな心持ちだったんでしょう。
すべて人力で測量するという気の遠くなる作業。。
そしてそれを紙にアウトプットして地図にするという!
気力と体力と相当の使命を覚悟しないと完遂できなかったとおもいます。。
亡くなってから発行された日本地図
1818年 忠敬は73歳に江戸八丁堀のお家で亡くなります。
亡くなって3年後の1821年「大日本沿海輿地全図」が完成します。
伊能図は
大図・中図・小図 と3種あります。
大図→214枚 があわさって日本列島が完成
中図→ 8枚 があわさって日本列島が完成
小図→ 3枚 があわさって日本列島が完成
よって大図の一枚が、小さい部分をより詳細に描かれている という作りになっています。
もうほんとうに面相筆の細かさにビックリ!
沿岸の山のみどりや海の青さも景色も綺麗に描かれています。
とても神経をつかう作業ということが現物をみることでハッキリとわかりました。
いつも見慣れている地図だけど、とても綺麗に息をして地名が生きているような感覚を覚えました。
現実に忠実に、正確で見目麗しい地図という形に表された偉業を思うと
心底驚かずにはいられません。
そんな伊能忠敬の人生に感動して、消しゴムはんこを彫ってみました!
商売も成功させて、商売しながらいろいろ本も読んできたし、
村の人々からの信頼も厚く、
積み上げてきたからこそ
第2の人生もおもいっきり好きなことができたんだね。
人生100年時代、アラフィフの私にとって見習いたいところばかりの偉人ですね
伊能忠敬記念館 ホントおすすめ
歴史の教科書ではサラーっと習った伊能忠敬ですが、
ビジネスマンとして、人として、理論家、健脚家、芸術家として尊敬できると思います!
展示されている地図のなかで、自分の地元の地名や山を見つけるのが楽しいですし、これからココ行ってみたいなあって場所を探すのもアリかと。
伊能忠敬旧宅はじゃあじゃあ橋のすぐそば
伊能忠敬記念館を見学後、小野川をわたした樋橋(とよはし)を通るとすぐに旧宅があります。ちなみに樋橋は「じゃあじゃあ橋」という別名で、用水が30分毎にかわに流れ出して、じゃあじゃあという爽やかな音をたてて、涼をさそいます。
右側の離れが書庫になっていたようです。佐原は川沿いによって江戸文化がたくさん入ってきたため、私的好奇心をくすぐる本や文化に触れる機会が多い土地柄だったそうです。
測量旅にあった身軽なスタイルの伊能忠敬先生
勉学にも、計測にも、そして人に対しても、めっちゃまめな人だったんだろうなあ
小野川 舟めぐり
小江戸の街並みが魅力の小野川周辺。
川下りを楽しみました。往復30分程度。
橋の下から川を眺めるのがイイ気分〜
ガイドの方の声が入っています。風がほおを撫でて、きもちのよい舟旅でした。
小野川沿いをぶらぶら買い物散歩
NIPPONIA SAWARA
今回の旅は駅前ホテルのシングルに泊まりましたが、感染症の心配がなくなり、余裕ができたらNIPPONIA SAWARAの古民家にも泊まってみたいですね。
佐原の町のなかに古民家ホテルやストアがあるNIPPONIA SAWARAの取り組みが興味深かったです。和服が似合いそう。
上田屋荒物店
小野川沿いには多くの古民家や蔵が現役で使われていて、魅力的な商店がたくさんありました。
上田屋荒物店では
竹ざると竹箒を購入。
私の家の近所に荒物屋さんがないので、こういういいお店があると助かります。
家庭菜園のきゅうりやらをこの竹ざるに乗せると
ビジュアル的にイイ感じに!
収穫するのが楽しくなりました。
食卓でお蕎麦やそうめんを飾っても素敵そうです。
10年来つかっていた竹箒がやれてきたので、こちらの箒をあたらしくむかえいれました。
とても軽くて、細かい角が掃きやすかったです。
穂先がまがったらのこった風呂水につけて形を整え、ゆっくり干せばいいとのこと。
いかだ焼本舗正上
川下りのとき、お店の壁の紋が情緒あふれていていました。
佃煮やお魚の醤油蒸しなどが売っていました。炊き込みご飯にいれてもいいそう。
(佃煮の写真をとりわすれました)
柏屋もなか店
川沿いから徒歩3分ほど歩くとあります。
ホテルに帰る途中にみつけた美味しそうなモナカ店。
つぶあん、こしあん、柚子あん などバラエティに富んでいます。
熱い緑茶とともにどうぞ🍵